No.015-意見書バトル(最高裁平成18年11月14日判決)

専門性が高い医療裁判では、原告(患者側)と被告(医師・医療機関側)との間で、お互いの意見書を戦わせる意見書バトルになることが珍しくありません。

 

意見書とは、当該医療事故に関する高度な専門的知見を有する医師が当該医療事故について意見を述べたもので、私的鑑定書とも呼ばれています。なぜ私的鑑定書なのかというと、裁判所が鑑定人として選任した中立的な医師により作成された正式な鑑定書と異なり、原告と被告がそれぞれの立場で医師に依頼し作成させた鑑定書だからです。

 

素人である原告が意見書を利用するのは当然ですが、本来専門家である被告もこうした意見書を多用するのは、意見書に中立性と説得力を持たせるため、外部の医師・医療機関にその作成を依頼するからです。また、紛争の当事者となっている医師が必ずしもその分野の権威ではない場合、外部のより権威の高い医師に意見書を作成させることはとても有効な訴訟戦術となります。

 

一応専門家である医師により作成されておりますが、紛争の当事者が依頼して用意したものなので、原告の意見書は当然原告に有利な内容となっており、被告の意見書は被告に有利な内容となっております。したがって、決して中立的なものではないのですが、専門家である医師によって作成されているので、あたかも中立的な立場で純粋に医学的知見に基づいて書かれているような体裁にはなっています。また、双方の意見書が非常に専門的な内容を含んでいるために、この意見書合戦が医療裁判を難しくしている要因のひとつになっていることは間違いないでしょう。

 

さて、今回紹介する最高裁判例は、こうした意見書バトルが繰り広げられる医療裁判における採証法則について述べました。
この事件は、大腸ポリープを切除してもらった患者が出血性ショックで死亡したという事件で、医師に十分な輸血・輸液管理を怠った過失があるか否か、原告と被告の双方がそれぞれ意見書を提出していました。実は、この事件で興味深いのは、裁判所の意見書をめぐる評価が二転三転している点です。

 

まず、1審は、原告(患者側)の意見書を被告(医療機関側)提出の意見書よりも内容的に説得力があると評価して、原告勝訴としました。ところが、2審では逆に、裁判所は被告(医療機関側)の意見書を重視して、医療機関側の逆転勝訴となりました。そこで、これを不服とした患者側が上告したのが本件です。最高裁は、原審(2審、高裁)の判断は、採証法則に違反するとして、これを破棄・差し戻しました。

 

破棄・差し戻しとは、最高裁がその内容自体を判断せず、もう一度やり直せ、として2審に事件を戻すことです(最高裁が高裁の判断を覆し自ら判断する場合、「破棄自判」といいます)。

 

採証法則に反するとしているくらいですから、原審の判断の内容ではなく、それ以前の問題として、証拠を採用する場合の基本的なルールに適していないということになります。その意味では、破棄自判のケースよりも、原審は面目丸潰れです。一体、原審の何がまずかったのでしょうか。

 

本来、原告と被告の双方から内容の異なる(おそらく正反対の)意見書が証拠として提出されている場合、その内容は食い違っているわけですから、当然にその双方を比較検討し、一方の証拠を採用し他方を排斥するためには、なぜ一方は採用され、他方は排斥されたのか十分検討される必要があります。

 

ところが、本件における原審は、十分な比較検討をせず、被告(医療機関側)提出の意見書を丸呑みするような形でこれを判決で引用し被告を勝訴させてしまった。そこで、裁判所は、このような証拠の評価・採用は、いわゆる採証法則に反するとして、原審にやり直しを命じたわけです。別に、原告の意見書が正しく、被告の意見書が間違っているとまで述べているわけではありません。まあ、最高裁の判断は当然と言えば当然なんですが、原審の判断に対する私の疑問点は以下の2点に注がれます。

 

@なぜ、原審は双方の証拠をしっかり比較検討しなかったのか。
Aなぜ、一方的に採用された意見書が患者側ではなく医療機関側だったのか。

 

さて、この2つの疑問点は、それぞれ独立した問題ではなく、相互に深く関連しています。私の邪推かもしれませんが、裁判官の中には、患者よりも医療機関、消費者よりも大企業、国民よりも国を勝たせたいと考える層が一定数存在するようです。
なぜならば、このような杜撰な証拠採用で判決が下される場合、勝つのは決まって、大企業だったり、医療機関だったり、国だったりします。このような杜撰な判断で患者や消費者や国民が勝訴したなんていう裁判は聴いたことがありません。

 

私は別に、医療機関や大企業が勝つのはおかしいと論じているのではありません。患者や消費者の言い分がおかしければ、医療機関や大企業が勝訴すべきなのは当然です。問題は、最初から医療機関、大企業を勝たせる目的で都合よく証拠を採用したり排斥するようなことはあってはならないと言いたいのです。

 

では、どうして一定数の裁判官は、患者や消費者ではなく、医療機関や大企業を勝たせたいと考えてしまうのでしょうか。それは、その方が世の中が丸く収まるからです。患者や消費者の言い分は間違っていた、やっぱり医療機関や大企業は、変なことをしていなかったんだ、信用していいんだ、というほうが世の中丸く収まります。

 

残念ですが、このような事なかれ主義の輩が、裁判官という重職に就く人たちの中にも一定数存在するということを頭の片隅において、医療訴訟も行わなければなりません。

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