No.012-禁忌でも医師の過失を認めなかった事例

禁忌に関する興味深い判例を2つご紹介します。

 

ひとつは、平成8年1月23日の医療過誤裁判の最高裁判例で、禁忌とされている薬剤が投与された場合の裁判所の基本的な考え方(原則論といってよいかもしれません)を示した判例です。
最高裁は、禁忌薬剤の投与と医師の過失の関係について、「医師が医療慣行に従った治療を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたとは直ちに言えない」としたうえで、添付文書の注意義務に従わずに医療事故が起きた場合には、特段の合理的理由がない限り、「当該医師の過失が推定される」としました。

 

薬には、その使用上の注意点として禁忌事項が書いてあります。通常、添付文書と言われておりますが、ここに禁忌と書かれているのにそれに反する使用をした場合には、医師の過失が推定されるとしたわけです。あくまでも、「推定」ですから、医師の側で特段の合理的理由を説明できれば医師に過失はないということになるのですが、そうでなければ原則過失ありという判断になりますよ、と言っているわけで、これは患者側にとって大変有利です。

 

そして、前半部分で最高裁が医療慣行に触れているのは、添付文書上禁忌とされている治療行為が臨床の場で行われることも珍しくないので、「医療慣行を理由に禁忌の治療行為を正当化できませんよ」と釘をさしているわけです。

 

ところが、このような最高裁の示したメルクマールがあるにもかかわらず、医療現場で禁忌とされている治療行為がなされることは珍しくなく、禁忌とされている投薬において、医師の過失なしとした判例があります(大阪地裁平成21年3月23日判決)。

 

どのような事例かというと、詳細は省略しますが、ハロペリドールという抗精神薬を投与されている患者さんが心停止状態に陥り、蘇生のためにアドレナリンを投与したが患者さんは死亡してしまったという事例です。
このハロペリドールという抗精神薬はよく使用される有名な薬なんですが、この薬を投与している患者さんに対して、アドレナリンを投与することは禁忌とされています。具体的に添付文書を見てみましょう。アドレナリンの添付文書には禁忌の場合として次の3つが記載してありました。

 

(1)ハロタンなどのハロゲン含有吸入麻酔薬
(2)ブチロへェノン系・フェノチアジン系などの抗精神薬、α遮断薬
(3)イソプロテレノールなどのカテコールアミン製剤、アドレナリン作動薬

 

ただし、蘇生などの緊急時はこの限りでない

 

本件で問題となっているハロペリドールは、ブチロへェノン系の抗精神薬なので、上記の(2)に該当します。したがって、アドレナリンの投与は禁忌になるはずですが、問題は「ただし書き」の部分です。本件では蘇生時という緊急事態で投与しているので、ここに該当しそうなのですが、この「ただし書き」がどこにかかるのか、(1)〜(3)全体にかかるのであれば投薬は許されそうなんですが、(3)のみにしかかからないとすると、(2)は蘇生時であっても投薬してはいけない(つまり、絶対禁忌)ように読めることになります。

 

そこで、実際にこの薬の製造元である製薬会社に回答を求めると、製薬会社の見解としては後者だったんです。つまり、(3)にしかかからないという趣旨です。そうすると、本件は(2)のケースなので、ただし書きの適用はなく、アドレナリンの投与は許されないことになりそうです。

 

しかし、裁判所は、添付文書の文言に拘泥することなく、医師に過失なしとしました。
 その理由は、ほかに有効な蘇生方法がない状況下で、心停止している患者を蘇生させるために投与された点を重視しています。心停止など生命の危険が差し迫っている状況下では、緊急的な治療も正当化されやすいわけです。生命の危険よりも高いリスクなんてありませんからね。

 

では、添付文書には、蘇生のような緊急時でも投薬してはいけないように書かれているのに、その記載は無視するのか、と叱られそうですが、添付文書の記載は割り引いて読む必要があると思います。

 

なぜならば、製薬会社の立場からすると、禁忌の例外はできるだけ狭い方がよい、例外を広めにとると、医療事故が発生した場合、「医師に責任はない。製薬会社の責任だ!」となってしまう。この事件でも実際に患者さんは死亡しているわけですから、もしただし書きが(1)から(3)全体にかかると回答してしまうと、製薬会社が紛争に巻き込まれてしまうおそれもあります。まあ、要するに逃げをうってるわけですね。裁判所の判断の背景にはこのような事情への配慮もあると思います。

 

さて、以上を整理すると、禁忌に関する過失推定を示した最高裁判例、これは患者側にとって確かに有利な判例なんですが、これに全面的に依拠すると敗訴する可能性がある、案件毎に投薬の必要性がどの程度あったのかを個別に分析してみる必要があるということです。

 

次に、大阪地裁の判例からの学びは、薬の添付文書から絶対禁忌と読める場合であっても、裁判所は具体的状況次第で、相対的禁忌と考えるということを頭の片隅にいれておくことです。添付文書の文言だけで勝った気分になるのは禁物です。

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