No.002-医療訴訟における医師の過失と要件事実

弁護士・医学博士 金ア 浩之

 

(1)過失の要件事実について

 

医療過誤、医療事故、医療ミスなどの医療訴訟では、原告が医師等の過失を主張・立証する責任を負っているが、過失の存在は法的評価であり要件事実(主要事実)ではないから、過失を主張・立証する者は、これを基礎づける評価根拠事実の存在を主張・立証しなければならない。要件事実は、通常は、その成立要件が法定されているから、ある請求権について、何が要件事実であるかを判断することは困難ではない。

 

しかしながら、不法行為責任における過失の場合、過失の評価根拠事実は、その内容が一義的に定まっておらず、直接法文から導くことができない。そこで、当該事案においては、何が要件事実になるかという、「要件事実の選択」の問題が起こる。例えば、交通事故で被害者が死亡した事案であれば、飲酒運転であるとか、スピード違反やわき見運転などの評価根拠事実が要件事実として具体的に選択される必要がある。

 

ところが、医療訴訟では、この要件事実の選択をめぐって、交通事故などの不法行為事案では生じないような難題が待ち構えている。そして、医療訴訟では立証ハードルが高いため、証明に失敗したがゆえに請求が棄却されたとみられる事案の中に、実は、要件事実の選択を誤ったがゆえに棄却されている事案がかなりあるのではないかと思われるのである。

 

(2)要件事実の選択と医師の臨床思考

 

医療訴訟における要件事実の選択は、交通事故のような事案ほど単純ではない。例えば、交通事故の事案で、飲酒運転やスピード違反などが事故の原因となりうることは、法律家でなくても理解しやすい。

 

ところが、医療訴訟において、過失の要件事実を構成する評価根拠事実を的確に主張するためには、医学的知見の理解に加え、医師の臨床思考を正確に理解していることが必要である。これを欠くと、医学的には的外れな要件事実が立証命題に設定され、原告は立証不可能な事柄に対して立証責任を強いられることになる。

 

具体例を挙げる。原告が、被告病院の医師には画像に写っている癌を見落とした過失があり、その結果、癌の診断・治療がおくれたため患者を死亡させたと主張して、損害賠償請求している事案を想定してみる。いわゆる癌の見落し事例では、「癌の見落し」が過失の争点として正面から議論されることがある。実際に、他の弁護士が原告の訴訟代理人となっている事案で、東京地裁で実施されていたカンファレンス鑑定を傍聴したときも、問題となっている画像所見の陰影をめぐって、「これは癌か」がしきりに議論されていた。

 

そもそも、「医師が癌を見落とした」という表現は、医学的には正しくない。というのは、画像所見だけで癌と診断する医師は通常おらず、あくまでも画像所見を読影した診療の時点は、癌の可能性がある異常所見に過ぎないからである。要するに、医学的に正しく表現すれば、医師は、癌を見落としたのではなく、癌が疑われる、又は癌の可能性を否定できない異常所見を見落としたというべきなのである。
したがって、画像上の異常所見について、「これは癌か」と問われれば、ほとんどの医師は「これだけでは癌とは診断できない」と回答することになる。実際に、私が傍聴したカンファレンス鑑定で、鑑定医らもそのように回答していた。理論的に、「癌を見落とした過失」を要件事実として設定してしまうと、原告は、当該所見が癌と診断できるレベルのものであることを立証しなければならなくなるが、そのハードルは著しく高い。

 

これに対し、「癌の可能性を否定できない異常所見の見落し」として要件事実を設定すれば、立証のハードルは大きく下がることになる。なぜなら、結節や腫瘤性陰影等の所見を読影して、その画像診断だけで「癌の可能性を否定できる」と回答する医師はまずいないと考えられるからである。

 

これは立証の困難性の問題ではなく、要件事実の選択の問題である。既に示唆したように、そもそも、医師は、画像所見から癌と診断するような臨床思考はしない。癌の可能性を否定できないから精密検査を行うというのが通常の医師の臨床思考なのである。特に重篤な疾患ではそのような臨床思考となる。
これが軽微な疾患であれば診断を急がないので、経過観察や保存的治療が選択されることもあるが、重大疾患の場合は、その疾患の可能性を否定できなければ、否定できるまで確定診断を急ぐのが標準である。

 

そうだとすると、癌の見落し事例で、原告が主張すべき適切な要件事実は、「画像上の当該結節(腫瘤)陰影から癌の可能性を否定できないのに、当該異常所見を見落した過失」、あるいは「画像上の当該異常陰影から、癌の可能性を否定できないのに、その可能性を否定して良性疾患であると誤診した過失」のいずれかであろう。前者であれば、原告は、当該医師の存在診断の過失を主張していることになり、後者であれば、鑑別診断(質的診断)の過失を主張していることになる。

 

医師の臨床思考に照らせば、過失の要件事実をこのように設定するのが正しいし、また、立証のハードルも格段に下がる。その異常所見が読影の時点で癌と診断できることを立証するのに比べれば、癌の可能性を否定できない所見であることを立証するほうが、はるかに容易だからである。

 

(3)要件事実の選択の誤りがなぜ起こるのか

 

では、医療訴訟の実務において、なぜこのような「要件事実の選択」の誤りが起こるのか。冒頭で触れたように、過失の要件事実である評価根拠事実が一義的に定まっていないこと、医療紛争の高い専門性もその理由となるが、実は、それ以上に根深い問題が横たわっている。

 

第1に、患者側の訴訟代理人弁護士が、当該紛争に関連する医学的知見を獲得していても、必ずしも医師の臨床思考を理解していないため、後方視的観点から、過失の評価根拠事実を構成している可能性を指摘できる。先の癌見落し事例で言えば、紛争時には患者が癌であったことが判明している。だから、見落とした異常所見は癌である、という思考である。見落とした所見が癌であることは客観的には正しい。でも、それは後日判明したことであって、画像読影の時点で判明していたわけではない。あくまでも、読影した診療当時における医師の臨床思考がどうあるべきかが探索されなければならない。

 

第2に、医療訴訟に関与している法律家は、裁判官も含め、医学の専門家でないことがほとんどである。医学の素人といえども、法律家は、過失の有無は、あくまでも診療当時の時点で前方視的に検討されるということを理解している。ところが、「癌を見落とした過失」という不正確な要件事実が設定されてしまうがために、診療当時の時点において、この所見を癌と診断できるかが争点の中心に置かれてしまうのである。このような誤りが起こる原因は、医療訴訟の中で、それに関与する法律家が、医学的知見を獲得しても、医師の臨床思考を正確に理解していないことにあるのではないかと思われる。言い換えれば、過失の判断は前方視的に観察しなければならないことを理解しているのに、医師の臨床思考を理解しないがために、要件事実の設定は後方視的になされている。

 

第3に、これが最も根深い問題なのであるが、被告病院側の医師が、裁判官らが臨床思考を理解していないことに乗じて、あえて本来の臨床思考とは異なる議論を展開するという法廷戦術を採用している可能性である。というのは、原告が「癌の可能性を否定できない異常所見の見落し」を要件事実として選択したにもかかわらず、「この所見だけで癌と診断することはできない」という類の反論が被告から提出され、場合によっては、そのような内容を支持する医師作成の意見書が提出されることがあるからである。
要するに、いかに、原告が正しく要件事実を設定していても、病院側としては、「この画像所見だけで、癌と診断できるか」を争点にして議論したいのである。

 

(4)争点のすり替え

 

このように、原告が正しい臨床思考に依拠して要件事実を選択したとしても、被告がそれと異なる事実をあたかも立証命題であるかのようにすり替えて議論を展開してくることがしばしばある。

 

その理由として、必ずしも、病院側の弁護士が原告の主張を理解していないからではなく、法廷戦術として意図的に別の要件事実・立証命題にすり替えている可能性が垣間見るのである。なぜなら、既に述べたように、このような主張を裏付ける医師作成の意見書が被告側から提出されることがあるからである。被告側の弁護士が臨床思考を理解していない可能性は十分ありえても、意見書を作成している医師までもが理解していないとは考えがたく、何らかの戦術的意図があるものと解される。

 

原告側の代理人として関与する場合には、このような被告の訴訟活動には十分に注意して、原告が立証命題として設定していたはずの要件事実と噛み合わない反論が提出されたら、その都度、その誤りを準備書面で指摘し、正しい議論の土俵に戻すように努めるべきである。そうでないと、裁判所を混乱させ、いつの間にか、被告側が議論したい事項に立証命題がすり替わってしまうおそれがあるからである。

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